そんな奴は必ずいる

邂逅は無い。自分の障害となるだけ、可能なら関わるな。

こんばんは、アリロボスです。今日で仕事納めです。ですが、なんというか会社の行事です。まー、飲み会みたいなもの。ちょっと大規模な、そんなのね。普通に終われまいいのになねぇ。飲み会≒親睦を図るって考えは、もう時代遅れだと思うんだけど・・。

自分が社会人になったばかりだと、経験不足もあるし、特段スキルも何も無いわけで、基本的にはいつも誰かに何かを教わっているのが連続しているはずです。最近だとブラック企業に対しての社会人の対抗の仕方ってのがよくネットには出ていますが、被害を受けている(+受けていると個人は思っている)方の思いはけっこう見られます。当然それは、心の叫びであるし、世間へのSOSでもあります。こうやって回避したなんて経験談は身の回りで似たようなことがある人にとってはとっても役に立つんじゃないでしょうか?

ただ、もう一点の悲しい現実として、当人の力量の面があります。これはよくよく考えれば当たり前なんですが、なかなか表面には出ない話な気がします。それは誰もブラックな被害を受けた方や不遇な状況にある方に対して、その原因の一端が当人の問題であることを記述することはまず無いわけです。当たり前ですね。つまり、その被害者の方が、まったくその職場に対して力量が無いとか、協調性が全く無いとか言う視点は出てくるわけがないのです。別段、加害者を肩持っている訳では無いですよ。

何を言いたいかと言うと、こういった場での発言で、不遇な環境に置かれている方を非難する意味で書いているわけでは無くて、ただ普通の話で、自身の不遇などを訴えているネットなどの記事に、自身の不利益になるコメントを一緒に上げるって人はやっぱり少ないはずだと思うのです。

ただ、ここで書きたいのは、なにも自分だけが不利益みたいことを書いてんじゃねぇよって言うことを示したい訳じゃないのです。もともとアウトプットを出している方には、全てのをアウトプットするか部分的にするかを決められるのだから、その点を読み手側が意識して欲しいってことです。

その点を踏まえて次のことを考えたりします。サラリーマンになると、「あいつは・・」ってのは必ず出てきます。そのパターンは様々です。意識的にあなたに対して敵意がある方もいるでしょうし、無意識にあたなの弊害になる方もいるでしょう。どちらも性質が悪いですよね。

ちなみに私もどうしても許せない人物がいたりしますが、その思いに対してなんの呵責もありませんよ。考えるだけで、余計に自分が不幸になるというか、無断な時間を味わうだけだと思っています。私の人生にとっては余分なものってことです。

そういった方たちに、なんでしょうかね。少年漫画のような、苦難を共に乗り越えて、友情みたいな話はまぁ皆無なわけですね。そういったことが好きな方は、可能性はゼロじゃないですが、なかなか難しいでしょう。

厄介なのはそういった方たちへの処方箋です。これは・・、難しいってことは言えるはずです。これが上司などの目上の人なら余計に質が悪いでしょうね。簡単ではないです。自覚のない悪もあるでしょうし、ドストレートな悪もあるでしょう。そして、これに対して今度は自身の状況やら周囲の環境やらが関わってくるんです。よくよく考えれば、簡単な基準一つで判断できる訳じゃ無いんですよね。

例えば、自分がものすごく出来ると思っている場合と全然出来ないとおもっている場合があるとして、周りの感情はどうでしょうかね?ブラック上司に肩持つ人もいるんじゃないですか?仮に仕事の迷惑を被っている方とか・・。酷い話です。でも、その人から見れば当然でしょ?何も貴方の影響で不幸にはなりたくない。

じゃー、個人としてはどうするかって考えると、私が色々考えて思うことは一つです。自分だけをまず優先しろってことです。「え?さっきまでの話はなんなの?」って感じかもしれません。でも、違うんです。そういった問題に解決が出来るとすれば、自分に余裕がある時だと思うのです。ドツボにハマって本当に困っているその時に、一緒に周りの問題も解決なんて都合良すぎるわけですね。

自分だけがって罪悪感を持ってしまう方も優しい方ならあるかもしれませんね。でも、非難救助だってまず自分の安全を確保してからこそ、次のアクションが取れるわけです。自分を一番にするってのは別に間違っていないと思います。