世代への理解は難しい

分かって貰おうと思わないで生きるしかない。

こんばんは、アリロボスです。今週もお疲れでした。帰りがすごい眠かった・・。

なんか次々とスポーツ業界は色々起きてますね。今度は体操かー。これだけ集中するってことは、マスコミも注目しているってことと、元々根底に色々不満があったんでしょうね。どれか一つでも「あれ、これってぶっちゃけても大丈夫じゃね?」みたいな感じになると次々出てくるのかもしれません。

しかし、思うのがこれだけ騒がれて全然改めたりとかしないんでしょうか?ニュースとか見ると、「あー、俺(私)もこんなことやってるわー」みたいに思えば、教え子たちの前でぶっちゃけて今後改めるって手もあるんでしょうけど。(ちにみに気づいてこっそり変えても、これまでの罪があるので逃げられないかも)

基本的にこういった問題は世代間の意識の問題が大きいと思います。おそらく当時自分たちも同じような環境だったんでしょう。スポ魂(古い!)というか根性論というか、そういった環境で勝ち抜いてこそのし上がれるみたいな美徳というかドMの気があったんだと思いますし、それを乗り切ったことは自分を褒めたたえるのはおかしなことじゃないはずです。

そして、何よりこういった問題で吊るしあげられる人は、そういった環境で勝ち上がって来た人であり、そういった方が上のポジションについているわけです。もう、成功体験として自分の中にマインドセットされちゃっているので、それがもう間違いだというのはまず思うことはないでしょう。自分たちの生きた証みたいなものも否定されたくないだろうし、そうやってのし上がってきた自分は羨望の眼差しこそあれ、非難の眼があるなんて夢にも思わないんでしょうね。

団塊の世代特有の気風もあるかもしれません。「俺は違うぞ」と言われる方もいるかもしれませんが、単純にもっとも人口が多い世代っていうのは自然と横柄というが頑固になるもんです。やっぱり数が多いと全体的な意見が社会に浸透しますからね。この数って言うのはけっこう絶大です。だって、政治家は高齢者目線でしょ。それは数が多いからです。

でも、この世代間の意識の差は永遠のテーマだなって思いました。今回のようなスポーツ業界のパワハラがいい例ですが、それを見ている若い世代は半面教師でああはなるまいって思いながら生きていくわけです。しかし、それを見ている次の世代も、もっとガツンと行けばいいのにとかそれをまた反面教師になるわけです。まったく分かり合えないわけでは無いと思いますが、それには双方の礼儀正しさだったり、敬意だったりが必要な気がします。相手を認めてこそ、そこからつながりが深くなりますからね。一方通行だから破綻するんでしょう。一方通行だと気づければ回避できるんでしょうけど・・。

こういったことはどんどん起きるような気がします。時代の流れは無慈悲に進むので、それに抗って沈む人もいれば、さらに強力な締め付けで延命できる場合もあるでしょう。例えば、企業の不正問題なんかがいい例で、一時は叩かれても結局変わらないってこともよくあるじゃないですか?こういったことには極力近づかないのが理想なんでしょうが、属している組織が問題だったり、家族だったり、逃げられない場合もあるはずです。なるだけ自分はそんな目に合わないように祈るだけってのもなんだか悲しいですね。