マスメディアへの捉え方

結局のところ、自分がどう捉えるかだけの話だけど、なかなか難しい話なわけで

こんばんは、アリロボスです。もうすぐボーナスですよ。まぁ、人並みに期待はするわけですが、どうせ趣味の投資に使うだけなので・・。それ以外に何か買いたいものあるのかな・・。

マスゴミ。酷い言葉ですが、すっかり定着しちゃいましたね。ちなみにこの言葉自体を、業界の方はどう思っているでしょうか?世間一般の報道に対して、こいつらは信用ならんって思う人もいるんでしょうかね?わたしとしては、この言葉が世に出て来ようが来まいが、一定数としてそんな蔑称で言われる輩はどんなところにもいるもんだと思ってます。

ここ最近で、一般市民を突如として襲う不幸な事故が続いてます。ひと昔前であれば、キチ〇イって感じで一括りにされているような報道ですね。犯罪の総数は年々減少傾向にありますが、こういったニュースのおかげでまだまだ物騒な世の中って感じがするのでメディアの力ってすごいですよね。

最近思うのは、これらの主義の無いようなテロリズムの事件に対して、マスコミへの扱いがニュースで賑わってきました。ちょっと前の幼稚園の園長さんの報道がいい例で、ちょっと前だったら園児を預かる管理者への姿勢を世間に知らしめる感じをメディアは発信していたのに、逆にあんな報道をして、マスコミの方がどういった姿勢で報道しているんだと逆に突っ込みが入れられてましたね。

マスコミのこの姿勢は昔も今も変わらないって思います。でも、甚だしく報道者へのステータスというか、尊敬の念が薄れてしまったことを実感できます。たとえば、アメリカの大統領選で、トランプ大統領が当選するまでのメディアの扱いはどうでしょうか?当時の現大統領の当選を推しているのは2社程度だったとか・・。つまり、彼ら(メディア)もそれなりの思惑があって動いているわけで、決して成人君主な存在ではないことが分かった来たんですね。

そして、SNSやらのネットから直接配信される当事者やその現場に遭遇した人たちの情報が、そのあたりをより浮き彫りになってしまったんだと思います。著しく敬意の念を失ったその団体は、それを払しょくするまでにはそれなりの時間を要します。今はマスコミ全体がちょっと怪しいというか、信に置けない集団となりさがってます。そのうちに信に耐えうるものが台頭してくるんじゃないでしょうかね。

とあるバラエティ番組で、ワイドショーを携わるキャスターに対して、今のようなやたらめったらに吊るしあげる、落とし込もうとする姿勢を揶揄したコメントを出した人がいました。その時の番組を見ていたわけですが、報道関係のコメントが印象でした。ざっくり言うと「伝えなきゃ」だそうです。これを聞いて、恐ろしいって感じます。つまり世の中の印象とここまで隔たりが出来ていても、彼・彼女らは使命感を持ってアクションしているって可能性があるってことです。

逆に報道を見ている側の人たちの感想です。私の身内、と言うか親とかはあまりネットになじみがない世代です。その人たちの最近のメディアの報道への自身の印象は、まぁ、ワイドショーというかTVメディアの意見に大分影響を受けています。

例えば、アメリカのトランプ大統領が米中問題をかましてます。それを利用して色々選挙対策として、賑うようにしている。そして、それが周りに迷惑を掛けているって感想を持ってたりします。実際にはアメリカ全体(共和党も民主党も)が中国に対して押せ押せムードだったりするわけですが、そういった報道を流すメディアは一時期は少数だったかに思います。

つまり、TVだけの情報ツールを持っている人と、ネットやSNSなど様々な情報媒体から情報と取り入れて、自分で精査する人ではものすごい差異が出る可能性があるわけです。しかも、当人はなんの間違いも無い、少なくとも自分たちはその感情を自分で選んでいると思っているわけです。

こういったことから考えると、マスメディアの印象は、その時代時代で変わっていくもんなんだなって思います。ただ、その報道に対して、別の意見はあるのかとか、そういった見方で情報を受け取っている人と、そうでない人でのギャップは自身で気づく他無いというのが悲しいところです。そして、きっと多様な情報から、自身の思いを選ぶより、偏った情報から選ぶ方が楽だと思う人もいると思います。

これは難しいですよね。自分に対しては常にこの情報はどうとかって思っていくしか無いです。でも、他人に対しては情報の提供は出来ても、どう捉えるかはその人任せしかないです。それ以上は、また押し付けなわけで、矛盾してますしね。自分が納得するってのは大事ですが、それを担保しているものは何かって考えると、けっこう奥の深い話かもしれません。