どんなことでも最後は自分で決める。だったら、その判断の情報源は幅広い方がいいじゃん。
こんばんは、アリロボスです。以前にもちらっと書きましたが、知り合いの近所のよりあい(高齢者多し)が、色々な役割決めでけっこう場を持たれているそうです。本当に大丈夫なんだろうか?高齢者や持病持ちほど今回のコロナウィルスはやばいってのは知っているよね?私もおっさんですが、まだインフルエンザと同じレベルのリスクなわけで、もし掛かっても家で安静にしてればまず大丈夫だってわけですが、70歳、80歳だともう死亡率のパーセンテージが全然違いますけど・・。家族とか知り合いは止めないのだろうか・・。
私はツイッターやらYoutubeを普通に見ている訳ですが、これらを上手く使うと情報入手の速さだったり、奥深く把握できることが劇的に違ったりします。TVのマスメディアの報道と比較すると、多様って感じはします。ただ、問題も色々あるわけです。
SNSなどのネットで情報を入手する場合、自分でその情報を取りに行くアクションが出てきます。その時に選択をちゃんと考えていないと、後々の自身の考え方やらにけっこう影響しそうだなって思ってます。ある意味自由ですが、責任は自分なわけです。
知らないってことはけっこうな差で、ある情報を知っているのと知らないのではまるっきり受け取り方が違います。世の中にはリベラル、グローバル、ナショナリズムなど様々な考えがあって、自分に合っている考え方ってやっぱりあるんですよね。漠然と情報を見ていくといつのまにやら自分の趣向にあったものだけを選んだりするわけです。
もちろん、発信者にも背景はあって、自身の利益を優先していたり(これは普通だと思います。)、何かしらの啓蒙活動だったりと色々な訳ですけど、一つ一つの発信情報に、自身の背景だったり、何の利を持って動いているかなんて、そう中々に無いかと。当然ように説明するのって少ないでしょ。でも、大抵の人は悪意無いわけですし、仮に悪意があるとしたらそんなところをオープンにするところはありませんからね。
結局の所、自分でサーチした情報について、自分はどう思うかって言うのは自身の責任になるわけです。もちろん、悪いことするやつが取り締まられるのは当然ですけどね。ただ、受けて側としては、当たり前のことだけど、その情報を精査するだけのアクションを自分が取っているかということが問われるわけです。そう真面目に考えちゃうとやや不安になります。
最近の私が思ったことはオリンピックの件です。今はコロナウィルスの話があるので中止の話がちらほらと出てますよね。WHOが勧告したらIOCは止めるだとか、アメリカの大統領は延期がいいんじゃないかとか。ま、みんな好きかって言ってますよねw。
そして、開催国の日本は頑なに中止は無いってコメントを出してます。これって最初はえらく頑なだなって思いました。基本開催の方向で進めたとしても、再度プランやバックアッププランとして考えておくのは悪くないんじゃない?本当に中止することになりそうだったらどうするの?って感じで。
でも、別の情報サイトで、IOCは今回のコロナウィルスなどの何か危機的な状況があったら、開催を中止できる権限を持っているし、その時に発生する費用も一切負担はしないって取り決めがあることを後で知りました。
そうすると、あぁ、なるほどって感じで、だから一言も中止なんてことを言ったりもしないんだってのが腑に落ちるわけです。だって、そんなことを開催側が言いでもしたら、「え?いいの?」って感じでIOCが中止することを暗に賛成してるとも取れますからね。
さすがに運営側もおそらくサイドプランやバックアッププランは考えていると思います。(何も本当にやっていないのもそれはそれで恐怖ですけど・・)でも、おおっぴらには絶対しないんでしょうね。
つまり、IOCの取り決めのことを知らないだけで、全然受ける印象が違うんですよね。そりゃー、人の命が大事なので最悪中止なんてのもコロナウィルスの状況次第ではあるんでしょうけど、人の命を全く考えてないな、こいつらって感じの印象は知っている・知っていないで大分違います。
だからこそ、フェイクニュースなんてのも問題になるわけですよね。基本的に自分が間違っているってことはなかなか気づきにくいわけですから。情報弱者を狙って効果的に影響を出していくのは、よく考えるとけっこうやばいですよね。自分は違うって思いたけど、それを確信するには色々な方向からの情報が必要なわけです。
便利になったけど、リスクも出てくる。いや、もともとリスクを意識していなかったのかもしれません。とにもかくにも、自分で情報を探りやすくなった世の中になった考えれば、やっぱりネットは偉大だと思います。危ないところもありますけど。
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