SNSの見方

悪意がなければどんな使い方も良いって言うか、他の人のコメント気にしすぎ

こんにちは。花粉アレルギーで、似たタイプのものにもアレルギー反応を起こす場合あるみたいです。私はヒノキはけっこう来るけど、スギはそれほどでもないです。でも、スギ花粉に対してトマトのアレルギーって近いらしいです。トマトはマズイ・・、大好物だ・・。

私もブログを書いており、時にはグチっぽくなるときもあります。いえ、けっこうグチってますw。まぁ、自分の思っていることを文章に連ねるのは、気分転換にもなるし、自分の考えを再認識するのにはいいですよね。私は日記なんて付けたことなんて無かったんですが、とりあえず1年は続いてますね。

そもそも、私自身もインターネットで情報をよく拾う方です。やっぱりスピード感がありますよね。ただ、情報が多すぎて、誤報も多いので必要な情報かどうかをスクリーンに掛けるような力は必要だと思います。

ネット情報を活発に求めるようになったのは、やはり投資活動がきっかけだと思います。単純にネット証券には、株式情報やら世界の経済情勢やら色々な情報がたくさんありますが、それ以外にも結局は色々な情報を求めるようになるんですよね。

個人ブログもそうですし、ツイッターなどのSNSだってそうです。色々なタイプの人の情報を見るとこで、知識も広がりますし、自分はどういった考えなのかも再確認できますしね。ただし、ブログやツイッターなどの個人発信の情報になるほど、情報は偏ります。当然、その個人は色々な思いがあってその情報を発信しているので、偏りについては別に普通のことですけどね。

ただ、その情報を頂く側としては色々考えないといけません。例えば自分の考えと賛同できるものだけ、簡単に言えば、聞いていて耳の心地の良い情報だけを取るようにすると、いつの間にかその偏りの中に自分も取り込まれる気がします。

これを気にしてもどこまで防げているかは分かりません。そこで、私の場合は、基本的に参照させていただいている発信者の情報しか見ないわけです。そもそその発信者の情報を知りたくて見ている訳ですからね。その発信に対する同意や反論なんてのは、ぶっちゃけどうでも良いわけです。自分がそれに対してどう考えるか?ですから。なるべく意識してカットしてます。

発信者の方によっては、自分への承認欲が欲しい場合もあると思うので、相槌、反論自体は何も悪いことだとは思ってません。要は自分への使い道って点でこうゆう事を言っているだけです。まぁ、だれでも観客の意見なんて必要ないでしょ。

それに今はなんというか、色々な発信に対して周りが気にすぎる感じがありすぎると思うんですよね。もともとSNSは任意で自身のプロフィールを隠せるわけですから(絶対ってわけじゃないですが)、けっこう自分の本音の部分を簡単に言っちゃっている気がします。愉快犯とかもですね。だって、普通のリアル対面の会話では、絶対言わないことだってあるでしょう。

それに文章の表現も、人の解釈が入りますから、余計に混乱するかもしれないですよね。発信者の意図と違う方向へ、どんどん流れていくこともけっこう見たりします。しかしまぁ、自分の気に入らない意見や便乗には、正直辟易している感はあります。これもSNSに対しての個人の立ち位置が違うことも影響しているとは思いますが・・。

正直言って、相手を総スカンしたり、マウントとるのを見ているのは気分がいいものじゃないです。そういった意識も働いて、発信者以外の追随する情報は見ないようにしている気持ちもどこかにあるかもしれません。

とにかく、情報は大事だけど、扱いが難しいってことですね。誰かの情報に影響を受けないなんて、私には出来ないですけど、少なくとも数ある情報の中から自分はこれを選んだって意識しているようにはしたいものです。