平成から令和へ。あとで振り返ると感慨深いのかしらん。
こんばんは、アリロボスです。今日が平成最後の日なんですね。私は昭和生まれですので、令和になれば3個目の元号ってわけです。私のおじいちゃんは明治生まれですが、平成没なので4つ跨いでるわけですが、こうゆうのは時が流れて振り返るとなんか感慨深くなるんでしょうか?
平成って考えると、私は社会人になってから3分の2を経験し、残りの3分の1が学生時代ですね。なんか不思議な感じです。昭和から平成に変わった時は、まだ子供でした。今回のような感じで元号が変わるわけじゃなくて、崩御なさったんで、ただすごくバタバタした感じは子供ながらに感じましたね。
でも、今回のように生前の段階で変わられるのが、私たち今の現役世代で考えると、本来は普通だって思います。やっぱり、余生というか安心して生活してもらえる時間があるのが自然じゃないでしょうか?ニュースなどの記事で見られた範囲での感想ですが、公務の量は正直忙しすぎだと思いますよ。
私って元号について特に意見はありません。長い時代に続いた文化なので、全然いいと思いますよ。このまま続いてほしいです。ただ、通貨とか定型文書とかで元号が変わるたびに、色々変更が必要だってことになるのは、対策売っていいと思います。心の問題なので、そうゆうところは関係ないかと・・。正直言って西暦で良いかもとは思いますよ。
まぁ、経費掛かりますからね。けしからんって言う方もいるかもだけど、長い目で見て国に負担にならないように変わっていくのは必要なことだと思います。そもそも今回の生前退位は、このあたりも配慮なさっていると思います。
国の行く末を考えるのって大事です。他の国の話で申し訳ないですが、インドネシアが首都を移す計画を決めたって話聞きました?これは今の首都が交通渋滞がすごいってのもあるし、火山や津波の被害を考慮したものだって記事で見ました。
世界の国々と比較して、日本ほど色々な機関が集中しているのは珍しいそうです。行政やら色々な役割を地方へ分散するって言うのは、まさしくインドネシアのような意味合いで進めるべきものですからね。
日本で言えば、関東と言うか太平洋沿岸の大地震、それが南海トラフなのかはわかりませんが、そういったものへのバックアッププランって重要ですよ。ここで、わが故郷へって色々なところが行政やらの役割を持ってきたいでしょうけど、同じ地震の被害で被るエリアに、バックアップをかぶせる必要は無いですよね。
つまり、東京圏の大地震なら、大阪府やら愛知県にバックアップを持っていたって全く意味が無いわけです。一緒に被害受けてしまいますからね。やるなら九州、四国、北海道など離れた地域じゃないと意味は無い。
しかしながら、ちっともその話は進みませんよね。これはニュースなどの報道を真に受けて思ったんですが、やっぱり官僚とかが権限を分散したく無いってことでしょうか?だって、ほとんどの国は分散かけているのに、バックアップすらちゃんとできないってもうダメダメじゃないですか。
こうゆうところが、日本人は本当にボロボロになるその瞬間まで、危機と感じてスイッチが入らないって思っちゃうんですよね。これは、変わらないことが良いって言う日本人の感覚なのかどうかはわかりませんが、やばいです。
ちなみにギリギリまで引っ張る食い逃げ理論って、食い逃げになる側ももし失敗したら酷いことになると思います。かわいそうですが、私たち日本人っていざ変わるって決めた時の恐ろしさってけっこうあると思うんですよね。その場合の逃げ切り世代はケツの毛まで抜かれるとおもいますよ、国家のためだとか言って。
逃げ切り世代が、もしその網に掛かった場合は、もうそれを覚悟しているってことでしょうね。自分がなぜそんなお鉢を喰らわなければならないのか?って思うのは人間府普通の考えだと思いますが、それを他人から見たらまた逆の考えになるわけですから・・。
こればっかりは運命でしょうね。でも、平成はその世代の主たる団塊の世代が主導権を握ってきましたが、令和はどうでしょうか?受け身の立ち位置に変わるんですよね。ここでどう動くかってとても興味深いものがありあましす、もっと人間性が露骨に出てくるんじゃないでしょうか?
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