ネット情報の使い方

広く浅く、間違いもある。情報を拾い方が大事になってくるのかな?

こんにちは、アリロボスです。蒸し暑いですね。エアコン付けるとやや寒いし・・・。9月でも過ごしやすくなるのはもうちょっと先なんですかね。

最近のネット情報を見ると色々考えさせられます。今はネットでの情報は誰でも手軽に入手できるし、SNSなどもコミュニケーションツールとしても普通のものになっています。使い手の人間側もその流れについて行けている人もあれば、頑なにそちらには見向きもしない人も様々です。

基本的に高齢者がネットの活用に後手に回る場合が多いのは、使い方が多様過ぎて最初にどうしていいかわからないって感覚なんでしょうか?それとも、そういった情報はまがい物に見える?高齢者でもさらに色々考えが違うと思います。実際にバリバリ活用している方だっていますからね。

そんな中で、ネットの情報について、私が最近思うのはそのスピードです。動画アプリにしろ何にしろTVなどのメディアに比べてずっと短いものが多くないですか?例えば、お笑いとかだと、漫才やコントなどはもちろんそうですが、普通のトークの中でのやりとりの笑いでさえ、ネット情報やらSNSからで見かけるお笑いはずっと短いように思えます。

アプリ自体がお手軽なので、一般人が活用しやすくなっているのもありますが、今までのお笑いの時間軸と違って短い為、活用されている芸能人の方でも、けっこう使われている方とあまり使われない方がなんとなしに分かれてますよね。(ツイッターとかそうゆうのじゃないですよ。動画など一つの作品として流しているようなものを指します。)

SNSでの著名な方のコメントですが、炎上したりする話はけっこう多いですよね。これは実名が必ずしも必須でないネット環境では、色々な思惑で使われる方もいるのでなかなか火が止まらないですよね。中にはただ単にこき下ろしたい人もいるでしょうし、論破したがりとか色々います。私はこうゆうのを見るのは苦手なんですが、これを見て楽しい方もいるでしょう。

これは人と人とのやり取りで実生活の中にだってある話だから仕方ないし、なくならないと思います。対策と言えば、「ほっておく力」というか「ああ、あなたはそうゆう意見なんですね。それじゃまた。」みたいなそんな程度に考えがいいと思いますが、なかなか我慢とか無視できないみたいですね。ネットの世界が趣味や生き方や商売の主戦場の方はそうも言っていなれないのかな・・。

そういった主義やら意見の違いとは別に、ここでもスピードというか情報の取り方がゴタゴタに拍車をかけている気がします。要は部分的に情報を抜き取りすぎているってことですね。これはマスコミの報道でも全体的な内容をあげずに、強調したい部分を取りあげるとと同じです。これは、面白い記事、人を引き付ける記事と表裏一体で難しいことなんでしょう。同様にSNSなどネットでのコメントもこんこんと自説を説いていくようなスピード感で表現されているのはブログならいざしらず、短いものならあまり無いので、強調したいことを部分的に取り上げるわけです。そして、その取り上げたものがさらに部分的に別の人も取り上げて、また違うものになっていくっていう感じです。よく見ませんか。「文章をよく読め」とかで怒ってたりすることw。

私自身もネット情報は良く読みますが、情報に偏りがある可能性があることは理解しているので、いつのまにやら裏を取る習慣が出来てしまいました。反対意見の方の情報を集めたり、そもそもの情報源の大元を見に行く場合だったりという感じです。噂話やデマかどうかは、大抵の場合はすぐ分かりますが、巧妙なものも中にはあるでしょうね。

この誤情報をどうにかしたいのが、フェイスブックやツイッター、グーグルなどの情報を扱う企業の当面の厄介事なんでしょう。フェイクニュースとかそうゆうのですね。これはけっしてユーザーだけの為でない訳では無く、膨大の情報を一手に集め、それを使った時の影響力が強いことを企業は自覚していて、余分なノイズであるデマなどはフィルターに掛けて取り除きたいためかと思います。このせいで情報が集まらなくなったら元も子も無いですから。

なかなか対策は難しそうです。下手したら、ネットのコメントのやり取りの中で、『この話は本来の主張とずれている』とかをその場を提供している企業(フェイスブックとかツイッターとか)が注意してきたりしてw。まぁ、そんなことをしたら、「ああ、一字一句情報を集められているんだな」って認識しちゃうので印象悪くなると思うので、そんなことはしないでしょうけど。まぁ、それでも、できることなら企業側からの窘めでなく、我々人間の方が情報を扱う、読み取る、発言する時の注意することを認識して防ぎたいものですね。難しいとはおもいますが・・。